私の趣味

ヒコーキ人生バンザイ!

 趣味と言うか、道楽と言うか、とにかく私の人生にとってなくてはならぬもの、それなしには生きていけないものについて書いてみたい。それはヒコーキである。
 そもそも私をヒコーキの世界に引き込んだのは、小学校入学前の子どもの頃、父がお祭りの出店で買ってくれたゴム動力の模型飛行機であった。竹ヒゴの骨組みに薄い絹を張った翼を持つとそのヒコーキが、優雅に空を舞う姿に子どもの私はすっかり魅了され、その後の私の人生を決定づける本となった。
 小学生時代は、ゴム動力機やグライダー、中学入学前後からは、これも父が買ってくれた小さなグローエンジンを使ってのUコンやフリーフライト機の製作や飛行に夢中であった。 模型ヒコーキに端を発した空への憧れは、やがて将来の仕事としてパイロットか整備員又は航空管制官等といった空の職業を夢見ることとなり、大学受験もその方面の学部を目指したのであるが、なにせ学力不足の私はことごとく失敗し、結局大学では英語を専攻することとなった。
 しかし、幸か不幸か私の大学には当時「航空部」というのがあって、グライダーの操縦を習うことができた。私は躊躇なく航空部の一員となり、グライダーの訓練を始めた。当時は自動車曳航が主流で、たこ揚げの形で自動車が滑走路を走り、グライダーは高度300メール位まで上昇したところで曳航索を切り離し、その後数分間の飛行を楽しむものであったが、とにかくこれが私が実際に空を飛ぶ手始めとなり、初めてのソロもヤマドリというグライダーで体験した。その後技量が上がるに従い、飛行機曳航に進み、大学3年の時には九州地区大会で優勝するまでになった。


  大学卒業時、私はパイロットになる最後のチャンスとして海上自衛隊幹部候補生学校を受験し、運良く合格、その後希望通り航空要員となり、飛行学生となることができた。学生時代グライダーに乗っていたお陰で、T-34による初級操縦課程は順調な滑り出しであったが、その後課程が進むにつれてそうも行かず、KM-2、B-65、Bell47、さらに実用機HSS-2の課程を苦労しながら何とかクリヤーし、念願のウィングマークを胸にすることができた。


 121空に勤務し、対潜ヘリのパイロットして少しは自信が持てるようになった頃、私は館山市の平砂浦砂丘でハンググライダーの練習を始めた。それからは、週日は仕事でヘリコプターに乗り、週末はハンググライダーの練習といった生活を続け、妻には随分と不満と不安を強いる生活を続けた。お陰で、ハングの腕はインストラクターの資格を得る程になり、東京湾観音の海岸段丘では3時間以上のフライトをしたこともある。実機では、館山、厚木、大村の対潜部隊でHSS-2A、2Bに乗り、最後は岩国の111空でMH-53Eによりヘリパイロットの人生を締めくくった。ハングの方も転勤先の山々で飛び続けたが、岩国在住中、小さなエンジンをしょって平地から離陸するモーターハングを始めた。関東では、主として利根川河川敷で飛び回った。


 平成10年定年後大村に来てからは、東彼杵の工業団地用地や諫早の干拓で飛んでいたが、齢60歳となった時、殊勝にもこれ以上妻に心配をかけるのは止そうと思い、自分自身で飛ぶことは断念した。しかし、私の空への思いはそれで終わることなく、その後は少年時代に戻って再び模型飛行機にはまった。もっとも、子どもの頃とは異なり、現在は主としてラジコンヘリコプターを飛ばしている。実機でもヘリは難しいと言われるが、模型ではなおさらで、それだけに面白いのである。かつては、ラジコンヘリもエンジン機が主流であったが、モーターや電池の進歩により、現在では電動が主流で、大変手軽に楽しむことができる。私もいくつかの種類の電動ヘリを持っていて、暇さえあれば住まい近くのアルカデイヤのグランドに行き、フライトを楽しんできた。


 そのような私が、自分のヒコーキ人生の最後を飾るパソコンフライトシミュレーターに出会ったのは70歳を過ぎてからであった。フライトシミュレーターといえば、まだ私が現役パイロットであった時代にも、パイロットの訓練用に使用されていたが、技術の進歩と共に、当時でも実際のフライトをある程度補完できるほどのものとなっていた。ただし、それらは非常に高価なもので、とても個人で所有できるものではないが、最近のパソコンの進歩により、個人でも所有できるほどのものが得られるようになった。そのような訳で、現在私の書斎にはヘリコプターのコクピットを模したフライトシミュレーターがあり、毎日のようにフライトを楽しんでいる。

 興味のない方にはどうでもよいようなことを長々と書き綴ったが、今自分の人生を振り返って考えたとき、私のヒコーキ人生のきっかけとなったゴム動力の模型ヒコーキを与えてくれた父の恩を忘れることができない。このような展開になるとは、父も予想しなかったことであろうが、子どもに物を与えることの大切さをしみじみと考えさせられるのである。お陰で、私は一生を貫く趣味を持つことができて幸せであった。
 

 私の趣味は空を飛ぶことですが、カメジイとなった今の楽しみをビデオで紹介します。